極真カラテとは
国際空手道連盟 極真会館の歴史とは、大山倍達総裁の歴史である。
1923 年に生を受け幼少の頃から拳法を学び、松儒館空手の開祖船越義珍先生の門を叩き、その後剛柔流空手、その他の格闘技を研究し 1947年に戦後初に開催された全日本空手道選手権大会で優勝。また空手に生涯をかけることを決意し行った身延山・清澄山に籠もっての空手修行は有名な逸話である。牛を拳の一撃で倒し、ビール瓶を手刀で切り、遂には猛牛をも倒し“ゴッドハンド”と呼ばれるようになる。1952年に渡米して全米各地をまわりプロレスラーなどと真剣勝負を行って連戦連勝、同時に空手を紹介する。その後も世界各国をまわって各種格闘技と戦い「カラテ」の名声を世界に広げる。「空手こそ最強」の信念のもと、直接打撃制を提唱して 1954年5月に大山道場設立、1963 年「国際空手道連盟 極真奨学会 極真会館」に改名、ここに極真会館が誕生する。
当時の空手界においては、試合で突きや蹴り等の技を相手の体に直接当てることを禁じたいわゆる「寸止め」ルールが一般的であったが、そのことに異を唱え「自分の攻撃で相手が倒れる程のダメージを与えられたかどうかは実際に相手の体を叩いてみないと判らない」として、1969年に「直接打撃制 ( フルコンタクトルール )」を採用した「第 1 回オープントーナメント空手道選手権大会」を開催。キックボクサーや他流派など様々な格闘家が参戦したが、上位はすべて極真勢となった。国内においては 1971 年に大山総裁と極真を題材とした劇画「空手バカ一代」が発表され空前の極真ブームを巻き起こした。
その後も全日本大会、全世界大会を開催し、そのどれもが大盛況を博す。これにより国内には350を越える道場、世界には120カ国以上に支部道場が存在し、非公認をあわせると総勢 1,200 万人もの道場生が在籍する世界最大の規模の空手団体となる。